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パンクの気持ち~80年代:パンク聴き始めから20才くらいまでの思い出(vol1) [パンク]

パンクムーヴメントはもう35年前の事になってしまった。
私はどちらかといえばNYパンクが好きだ。もちろんNY以外のパンクも聴いたが、中学生の私はお金もなくたくさんは聴けなかった。でもハートブレーカーズのmax’s kannsas cityとラモーンズのits alive、ヴォイドイズのブランクジェネレーションにやられて以降それらがロックのお手本となった。

しかし、思想的な始祖はジョニーロットンだ。
単にピストルズ、PILの音楽的な革命だけではなく、その後のカルチャーの革命の登場だ。
NYパンクがアンダーグラウンドシーンの連綿たる継承(十分実験的であり、原点回帰的ではあったが)の延長上にあっのに対し、ジョニーロットンは徹底した分断と拒絶と過去からの進化とは違う新しさ(誰もまだやっていないこと、これを進歩というのだろう)への挑戦があった。まさに「タレブのブラックスワン」だ。
「パンク」と言う言葉で括るのが間違いであったとしても、その時代を切り開いたのは彼であることは間違いない。その後のシャム69、UKサブス等から、スキンズ系、ハードコアパンクへとつながる流れや、ニューウェーヴ、ポストパンクへの流れさえも、ステレオタイプなファッション化と軟弱化と彼は否定してきた。その通りだ。
しかし、おかげでその時代のティーンエイジャーにとっては、短期間に、時代に沿った新しいものが、目の前に落ちてきて、次々と実験的にキャッチしていくことができた稀有な時代であったと私はとらえている。

パンク以降ほど短期間にめまぐるしく変化していった音楽的進歩はなかったと考える。
ピストルズは最高のロックンロールと革新的な歌詞(革命的とは違う)をぶちかまし、あっという間に崩壊し消えていった。わずか2年ほどの事である。私がラジオを聴き始めた頃にはマイウェイ位しかオンエアされていなかった。当時世界で最も凶暴な人間はシドヴィシャスだと思っていた自分が恥ずかしい。

クラッシュは79年にはロンドンコーリング、翌年サンディニスタでは実験的分解を行っている。トッパーのドラミングの影響か、若干ロック臭を残しながらも、実験臭はぷんぷんである。2枚組のアルバムと「おまけ」のボーナス12インチとして整理していればもっと評価が高かったであろう作品である。音楽を聴き始めた時点でロンドンコーリングはすでに発売されていたため、「発売を待って聴いた」初めてのクラッシュのアルバムだったこともあり、結局もっともクラッシュの中で聴いたアルバムとなった。当時の中学生には難解であったが。今でも私はロンドンコーリングより評価を上に見ている。自分の中でハードコアに整理がついた後の音楽人生を広げてくれたアルバムだと思っている。後にダブ・レゲエ以外のカリブ系音楽も構えることなく難なく消化出来た。

中学生にとって、借り物だったポップグループ「Y」と、友達に買わせたPILの「フラワーズオブロマンス」は最初は怖くてあんまり聴かなかった。暗い北向きの友人の部屋で「ア~ラ~」と叫ばれると、まったく気分は晴れなかった。でもなれたらよく聞くようになった。とくに「Y」は名作だ(今聴いてもちょっと怖いけど)。
PILの前作「メタルボックス」は今でも非常に新しいアルバムだ。各自のサウンドの距離感が素晴らしい。またビートの反復等は現代のトランス系の原点でもある。愛聴盤の一つだ。

個人的には同時期に登場したSLFやコックニーリジェクツ、キリングジョーク、プラズマティックス、Ukサブス、デッドケネディズ等ハードパンクに走った。バズコックスや、ジェネレーションXや999、ロキシーロンドンに入っているようなバンドも大好きでいっぱい先輩に聴かせてもらっていたが、時代はより速く、いかつい方向に走っていた。プレハードコアの時代である。おかげでバウハウスあたりのポストパンクは全然聴かなかった。

ドールのハードコア特集をみてUKハードコアがえらいことになっていることを知った。イクスプロイテッドの7インチ、「デッドシティズ」でもう戻れなくなった。DKやプラズマティクスより速い、重い!その後ディスチャージ、ディスオーダー、ケイオスUK、ANWL、ノーフューチャー系等、友人同士や先輩のネットワークを通じて聴きまくった。4-5歳上の世代(オリジナルパンクが高校ごろにリアルタイムだった世代)は、アート系や、ファンク系や、ニューウェーヴ系のポスト初期パンクだったのに比べ、それとは違う「僕らの時代の音楽」が手に入ったという高揚感がハードコアにはあった。相当怖そうな年上の人たちの前でも平気な顔をしているのは結構大変だった気もするけど。といっても2-3歳上の人しかいないから、自分はただのリスナーであっても、自分たちが進化する音楽の中にいる感じがしたし、時代の中にいる実感があった。先駆者が少ないから、どんどん新しいバンドが、レコードが出る。オムニバスの中からすごいのを見つける。見つけたバンドが自分の中での次のトップランナーになる。

ピストルズ→クラッシュ→PIL→サブス→キリングジョーク→ハードコア/Oi系とここまで4-5年で進化した。
「77in82」というスペシャルデューティーズのアルバムがあるが、当時の進化の速さをよく物語っている。CRASSはロゴやデザインの秀逸さとアナキズム、反戦の表現で誰も知らないものはない程の席巻していた。しかし、このアルバムのクレジットを見て驚いた。メンバーに「CRASSHATER」を名乗るものが登場していたのだ。わずか1-2年で反CRASSを名乗る者が出てきている。CRASSには音楽的魅力が乏しかったので、「CRASSはもう古い!」といえる新しさもあって、このアルバムは愛聴することとなった。

1984年頃ハードコアに音楽的進化の退潮を感じていた。MDCやクルシフィックスを超えるバンドがなかなか出てこなかったし、前ほど劇的でなく不発のレコードも多かった。クルシフィックスあたりでいったん整理がついてしまった。だから本当に熱心にハードコア(oi!系含む)を聴いていた期間は2年位だろうか。
その後は私の中ではスキンヘッズ音楽や、その影響でスカやロックステディ、ハマースミス宮殿の白人の歌詞から始まりレゲエ+ダブ、サンディニスタの影響でカリブ系の音楽等が広がっていくことになる。
その後パンクに本格的に帰ってくるまで4年程かかった。

同世代の連中もバンドを組み始めたが、関西では「パンクが店を壊すリスク」のため、上の世代にパイプのあるバンド以外ライブがやりにくかった。しかし、同世代のバンドたちは、それなら自分たちの世代だけでやろう、とやり始めた。まさにDIYの気風だ。連中が小さなスタジオやスペースで自主ギグを始めた。小さなムーブメントで客も少なかったので、見たことのある顔はたくさんいたから楽しかった。世界中のハードコアシーンもこんな風に出来てきたんじゃないだろうか?

現代のパンクはどうなんだろう。音楽的には77年ものや82年ものだったりするけど、それは30年も前の音楽。
僕らの世代でいえば1950年代初頭。チャックベリー以前か、あるいは戦後の歌謡曲という時代の音楽だ。
続いているのはすごいと思うし、おかげで当時聴けなかったものが何でも耳に出来る時代になった。
しかし、「新しいことをしよう」というパンクの気持ち(精神というと仰々し過ぎる。僕らも新しさを楽しんだり、世界を眺めるきっかけにしたり、すごいすごいといったり、ステージ前で踊っていただけだから)からいくと、もっと新しい、僕ら年寄りがわからない、年寄りが怖くて近づけないような音楽を、自分の世代が短い期間楽しむために作った方が面白いのになあと思う。

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