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グローバリゼーションⅡ~危険、寡占、そしてつまらない世界へ [グローバリゼーション]

前回グローバリゼーションの行方を書いたが、今回は危険度と寡占とつまんなさについて。

危ないのは、一極集中。なんといっても怖い。みんなが手をつないでいる。ネットワーク社会。
この間、i-carlyという、番組で世界ネット番組選手権の話があったけど(私はアメリカ流のコメディが大好き。スピンシティ、レッドドワーフ号、俺はハマーだ!とか。まわりに白い目で見られている。賢明なる読者諸君は見ていなかっただろうが)、そのなかで日本チームの背景に「網に住みなさい」ってすごい直訳が書いてあって大笑いしてしまった。

そう、「網に住みなさい」と言われて「住んでいる」社会こそ危ない。連鎖反応、総崩れの恐怖だ。
「あかんとき」の金融業界の総崩れっぷりは知らない人がいないだろう。
隣の市場に朝がくるなり、「安」「下げ」「大幅安」とありとあらゆるマイナスを表現したことばがニュースに並ぶ。

自動車業界はどうだ。「部品の共通化により、コストの最大限縮小」を果たしたかった。
で、シャーシもエンジンも世界中から適当に選んで、自社のバッジのついたボディでふたをして、ソファだけを変えてみる。ジャガーとフォードも、ボルボとマツダも外側が違うだけの車ができる。スバルのレガシーやインプレッサにはサーブのボディでふたがされる。そのスバルをトヨタが支配する。

「自由でグローバルな経済」には「多様性」や「小さな起業家たちのチャンスの出現」がメリットとしてうたわれていた。初期の道すがらでは確かにそういう状況が現れた。

しかし、実際は、資本の乏しい起業家が画期的新サービスを発見しても、それによく似たサービスを巨人の国があみだし、安く、広くしかも速く世界にばらまき、発見者に耐久戦を強いる。
持ちこたえられなくなった発見者は膝をつき、巨人が市場をまるごと飲み込んでいく。
発見者は追いやられ「オリジネーター」の称号を与えられるだけで忘れ去られる。
あるいは、巨人に発見を売り渡し、創業者利益を得て永遠のバカンスに出かける。

どちらにしても、よほどのモンスターでなければ巨人に勝つのは難しい。
それでもたくましいモンスターが出てくるのは希望の光だ。
しかし、モンスターが巨人のやり方で攻めてくるとものすごく手ごわい。

離合集散でコストを下げる古い企業群(たとえば自動車業界)や巨人が飲込む市場は、多様性を生まない。

結局コストや汎用性、共通化、優位性、世界基準の安全性等でで商品の振幅性は淘汰されていく。
消費者に届く頃には、当初のデザインやアイデアとまったく違うものが、同じ規格の色違い、柄違い程度の差に変貌している。シャーシはこれを、エンジンはこれを、と選んでいけば上に乗っけるボディという名のふたも必然的に中身に合わせたデザインになっていかざるを得ない。

巨人が飲み込む場合はなおのこと効率的に規格化がすすむ。
売れないもの、売りたくないもの、消費者の多数決で支持されなかったものは優れたものでも消えていく。(私は携帯についていたFMラジオの機能が気に入っていたのに今は見かけなくなった。クソマーケティングのせいだ)

結局、寡占が進んだ。
もともと各自の商品特性があまり違わない金融業でさえ、体力勝負のためだけに合併していく。
まるで日曜朝8:00からやっている「合体戦士なんとかジャー」に出てくる、とりあえず乗り物を全部くっつけたようなロボットみたいな銀行が出来上がる。
昔麻雀漫画(スーパーヅガンだったっけ)で「就職麻雀」というのがでてきた。役の名前で「都銀13面待ち」という役が出てきたのだから、当時は13都銀がある、と覚えていたものだ。
今は、どれがどうくっついたのか、さっぱりわからないまま、口座番号が変わったり、システム障害を起こしたり(こないだもあったね)、振込先を取引先に知らせさせたりとユーザーにとっては最悪な合併を繰り返す。
でかくなって安全になったならいいけど、そうでもなさげだし。(ただ、昔大嫌いだったやつが都銀に就職したとき、自分はエリートだ、と言わんばかりに傲慢かつ鼻もちならない態度で、自分の就職と就職先の自慢をしていたその銀行が潰れたことは金融危機の功績として評価している。私のけつの穴は極めて小さい)。

集約化は、危険の集約化でもある。倒産のダメージを極大化する。どれかが行き詰ったら、業界のパイのうち3割4割のシェアを持つ企業がこける、ということになる。、総だおれにはならなくてもダメージは甚大で、かつネットワークを通じて世界の市場になだれ込んでいく。

部品の共通化は、どのメーカーでも中身は同じものばかりになるので多様性がなくなる。性能より、汎用性が部品会社の競争の目的になる。商品が均質化されると、チェーン店(これもネットのひとつだ)さえあれば、いつでも、どこでも同じものが買える。家にいても買えるようになる。家で買えるようになると、ますます商品の不満度を抑えた商品になっていく。手にとって、輝きや、異様さや、重みや、軽さや、触感を試すことなく、数字化されたもの(cm、g、材質の表示、%)と写真で推測し、自分に似合うかどうかさえ試せなくなるからだ。
一見自由でばらばらに走り出せそうな社会は、実は汎用性がやたら強い(これはかえって不自由だ)ばらばらな社会となったのだ。

つまりは....面白くない商品が並ぶ危険な社会になったということだ。
これを進歩と呼ぶのか?

degenerated evolutionとでもいうか。





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