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グローバリゼーション~資本主義と共産主義 米中接近 [グローバリゼーション]

日本は中国にGDP2位の地位を譲った。
共産主義に資本主義が2位の地位を奪われた。資本主義陣営で残るのは米国だけだ。
そして市民感情も米国と中国に近づいている。

日本は「日本型資本主義」で成長を駆け上った。他国に半社会主義と批判されながら。
バブル崩壊で半社会主義が倒れ、次に米国型資本主義に移行しようとした。調子の
いい時は見た目だけはよかったが、国力が違うのにやり方をまねてもうまくいくはずがない。
前に書いたとおり、グローバリズムというイナゴが飛び去った後は荒廃した。

衣食住等の日常生活用品を中国は握った。
長らく資本主義は共産主義には効率面、品質面で絶対的優位を誇っていた。
資本主義の支柱は、資本主義経済の優位性であり、ソ連経済が崩壊し共産主義を上回る
ことで証明され、世界に承認された。イナゴが世界規模で爆発的に飛び回ったのはその後だ。
しかし、イナゴが中国へ渡った瞬間から様相が一変した。
イナゴが共産主義に捕獲され、飼育され、再利用された。
イナゴの旅が日本を過ぎ、韓国、台湾を超えるまでは、米国流の産業秩序が
守られていた、ということか。かくして、中国はイナゴの内部構造を手にした。

中国は、これまでの従順な国とは違っていた。
そもそも、「競争」はあっても「公正な競争」という観念がない。
中共独裁体制だから、労働力の価値の設定は好き放題だ。
体制を壊滅させない程度の生活水準を守れば、何とでもなる。
資源は国内から大概手に入る。同胞の在外コミュニティ、勢力も強大だ。
人類の1/5は同胞だ。そのソースから国益に値するなら、輸入でも何でも、権力が許す。
国益にとってさほど法律は意味をなさない。何とでもなる。
軍隊も強固だ。核も持っている。
強権の集中により、低コスト、労働力の維持が図られ、他国の権利を蹂躙し、資源投下
が行われた結果、強大な産業国となった。資本主義は1国を残し、すべて敗れた。

共産主義の勝利、なのか。
コミュニストの冠がなければ、一党独裁政権という意味ではファシズムと大きく変わらない。
では、ファシズム国家が、広大な国土を獲得し、競争力を維持し、他国の権利を蹂躙しつつ、
GDPの上位に上り詰め、その上で市民にそこそこの生活を与え、世界経済が市場として
認めざるをえない規模となったときに、そのことを承認するのか。

リバタリアン的考えでは勝者への集中は一種の美徳だ。
だとすれば、どんな手段であれ、中国が米国の経済規模を金額だけでも上回
った時、それを賞賛しなければならない。それが別のやり方の独裁政権であってもそれは
同じだろう。しかし、そういう国家では人権や公正さに問題があるから、そこを問題視し、
攻撃し、国力の減退と自己の陣営への従属を求めてきた。

しかし何と言われようと、中国は従属しない。昔から世界の中心であり、屈服などしない。
「資本主義のやり方は効率性に見劣りする。私たちは乗り越えているし、君たちはそれを
利用している」
と問われた時、グローバリズムのリバタリアンはどう答えるのか。
人権や、公正さや、市民生活水準の維持でさえ、
「資本主義が勝手に決めたことで、効率性の阻害要因だ。その点で我が国が不誠実だった
としても、すくなくとも、君たちはそれを利用している」
と切り捨てられたら、どう答えるのか。
そして米中は近づいている。

「資本主義では労働力が搾取され資本家が支配するから、状況が極まった時に革命が起き、
労働者が権力を掌握し、共産主義体制に移行する」という建前があったはずだが、実際は、
共産主義政権が独裁により労働力を支配し、労働力を搾取し、国力を維持している。

逆に、資本主義では、労働者の生活水準が上がり、賃金上昇が起こり、労働力を支配し搾取
し続けるのが難しくなった。国内の高価な労働力に見切りをつけ、さらに安い搾取場所を求め
た結果、たどり着いたのが世界中の貧窮国と共産主義国家中国である。

貧窮国はいずれ賃金が上がるから、その度にさらに貧しい国を探すことになる。
生産品価格は下がり、利益の維持は困難になる。
しかし中国には安定した巨大搾取システムがある。共産主義国家に搾取システムがあり、
それを世界中の自称反共・資本主義・自由主義国家が利用する。

だからグローバリゼーションというイナゴは中国にとどまるとともに、他の最貧国を飛び回る。
ついには、共産主義国家中国がアフリカ買いに動いている。
中国がアフリカを手中にしはじめた時、アフリカの最大の危機になりかねない。
またアフリカは代理戦争の場にされかねないからだ。

これからは資本主義、共産主義両陣営で「目の前の餌にくいつく最貧国」を目指す。
そして食い荒らす。資源を絞りつくし、飛び立っていく。

フェアトレード、という言葉があるが、実体化する前に、購買高揚、価格維持のための商品
ラベルになり下がるかもしれない。山ほど積まれたエコ商品群のように。

我々利用者は生産国の「公正」や「正義」を論じる資格があるのだろうか。
まだ今のところ、次世代のイデオロギーは発見されていない。
発見すれば、ノーベル平和賞ものなのだが、私にも案はない。
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