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美味しんぼと甲状腺がん [原発]

美味しんぼの鼻血の話が話題である。あの表現は欺瞞、とする声が多い。
しかし、新聞上でこんな記事が載っていた。
福島の甲状腺がんの子供が50人、疑いがあるのは39人。福島の子供の数は243000人
と言われているので、0.03%である。
全国で約9600人の患者が推定されている。人口1億2700万で割ると、0.007%である。
ありとあらゆる世代、要は高齢の患者まで入れても5倍である。
甲状腺がんの罹患率が高い、といったらこれは風評被害だろうか。

風評被害が出て、福島の子供たちが可哀そうだから、人権侵害につながりかねないから、
福島を支えているのに、という美談で隠してしまっていいのだろうか。
確かに、福島の子供たちは今後差別を受けるかもしれない。
これが何の事故もなく差別を受けるというのは風評被害だ。
だが事は既に起こり、子供だけでなく、親も発病のリスクに震えているのである。

これまでが風評被害なのか?違う。
これを風評被害と言ってしまえば、発症しなかったから被害なし、実害なき場所に補償なしである。
実害はあるのだ。小さいところからいえば、無料であれ何であれ検査に拘束されるし、経済的被害は出る。
大きなところは命、人生そのものである。この間にものすごく細分化された実害の段階が子供の人数分だけある。にもかかわらず、科学、医学分野の大事を風評被害の言葉を盾にもみ消していいのだろうか。
このままだと逆に子供の被害がなかったことになってしまうのではないかとさえ思えてくる。
隠しても出てくる。未だに新聞とテレビがメディアの中心だという旧時代の傲慢さだと思う。

人生の被害というカテゴリーの中に結婚が挙げられるだろう。しかし善悪では語れない。
子孫を残したいとか、子孫を残す為にパートナーを選ぶとか、理性では越えられない人間の本能の話があるからだ。野生動物でも強い、弱い、生存能力、繁殖能力などは選択されている。それ以上の情報を得ている人間が不健康な可能性のある相手、子孫に影響が出る可能性のある相手を選べなかったとしても、生物である以上、正常な範囲だとしか言いようがない。選べなかった人を理性的分野だけを見て「差別者」と決めつけるのはあまりにも酷だ。子供が欲しい男女が、生き物である以上お互いの年齢や能力を判断材料にせざるを得ないように、子孫の安全や繁栄を願うことは本能だ。選べなかった人も事故の被害者だ。
逆に、理性・本能を超えて相手を愛する人もいるだろう。それはいっこうにかまわない。
ただ前者を悪、後者を善というのは短絡的すぎる。
このようなことは風評被害という名の「何もないところの被害」とは言えない。

しかし、事実もう起こったことなのだから、我々にはどうしようもない。理性的に判断できる材料はまだない。
科学的にガンが増えるのか、短命になるのか、はたまた遠い将来にDNAに異常が出るのか。
そんなことは可能性がある以上現在の科学は否定できない。時間を追わないとわからない。
だから、風評被害という言葉を簡単に使う連中は信じない。
大丈夫かもしれないし、ものすごいダメージなのかもしれない。
大丈夫、というのは軽微で問題がない、というところまでを含むとしても、今のところ
危険という可能性がある以上、危機を回避することを責められない。

風評被害とか差別とか、そんなことより、子供の命の本当の実態をしっかりと見ることだ。
死んだらその子には風評被害や差別すらないのだから。
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